私と不登校

 10年以上前のことです。私は2年間、産代として小学校の教員をしていたことがあります。教員をやめてしばらくたったある日、以前担任をしていた子の母親から電話をもらいました。私がやめてから、その子が不登校になり、どうしたらいいだろうかという相談の電話だったのです。なぜその母親が私に相談したのかというと、「新藤先生が一番すきだった」とその子が言ったからだそうです。しかし、その頃の私は不登校については何の知識もなく、相手が納得できるような話をすることはできませんでした。そして、この日から私の脳裏に「不登校」という言葉が住みついたのです。
 それからの私は不登校に関する本を読みあさり、不登校の親の会に参加したりと、「不登校とはなんぞや」の答えを探し始めました。
そうしているうちにたどりついたのが「フリースペース」「フリースクール」という言葉。親の会と一緒に週1回の「フリースペース」を開き、不登校の子との関わりが始まったのです。そのうちに、このフリースペースは公共の集会所を借りて行っていたのでいろいろと制約があったため、一戸建てを借りて、毎日開けられるようにという構想が固まってきました。しかしながら、いよいよ立ち上げという直前で、スタッフ間にいろいろな行き違いがあり、白紙に戻さざるをえない状況になってしまったのです。
 ちょうどその時です、運命の出会いがあったのは。Sさんと知り合い、不登校の子どもや親が自分の意見を紙面で言えるような通信を作ろうと誘われました。17歳の女の子も二人加わるということでした。親の会やフリースペースなどになかなか行けない人のために、自分の悩みや苦しみを吐き出せる場を作ろうということでした。
 このようにして「聞きたい聞いてほしいホントのこと」の発行が1998年12月に始まりました。いろいろな人と出会い、話しているうちに「不登校とはなんぞや」の答えがほんの少し見えそうになったときです。小学校5年生の息子が突然不登校になりました。それはまさに「青天の霹靂」。私は第三者から当事者になりました。そして、不登校の子の親としての苦しみを味わうことになったのです。息子は不登校になると、「赤ちゃん返り」「ひここもり」と親の会で聞いたとおりの状況になりました。「ああ、これが不登校なんだ」と私はうなずきました。(つづく)
        「聞きたい聞いてほしいホントのこと」通信59号2006年1月発行より